開高健というインフルエンサー

いやー久しぶりに読みふけりましたが抜群に面白いんよ

本書はオートファジーも、プラズマ乳酸菌も、ブラントベースも教えてくれない

酒と煙草のエッセイと、現代ではトレンドキーワードにはなりえないテーマ

開高健のエッセイに描かれている酒と煙草の魅力や意味は、現代社会と対比すると非常に興味深い視点

「ウィスキーは人を沈思させ、コニャックは華やがせるが、どうしてかぶどう酒は人をおしゃべりにさせるようになる」

( ‘д‘⊂彡☆))Д´) パーン!!!港区女子口説けるやつー

というわけで健康志向や社会的な規制の強化により、酒や煙草を詩的な存在として捉える人々も減ってきてるわけで

(いあ、もともと酒や煙草を礼賛するつもりも無いんだけど)

これは開高健が朝日新聞社の臨時特派員としてベトナム戦争に従軍して生還している体験が、強烈に求めたのだと思う

昔の戦争映画を見てると役者の感情を表す小道具として必需なのに対し、最近は規制も多いせいなのか、劇中で使わなかったりする

過度のストレスから逃避と書くと、あーそーっすねと陳腐なものになってしまうのだけど、自己防衛として縋ることにならざるを得ない部分と、探究してしまう性が純然たるリアルとして面白い

「 一九六五年の二月十四日の深夜に私たちはジャングルを脱出し、沼地をわたり、ゴム林をぬけ、水田をこえて小さな村にたどりつくことができた。

村の道のうえにとけこむように倒れ、何も敷かないで眠りこけた。翌朝ヘリコプターがやってきて私たちはビエン・ホア空港まではこばれ、そこからジープでサイゴンのマジェスティック・ホテルへはこばれた。

村の道で野宿したときはいつ夜襲があるかわからないし、ヘリコプターで飛んでいるときもいつ対空火器でやられるかわからなかったし、ビエン・ホア空港からサイゴン郊外をぬけてホテルへ私たちをはこんでくれたジープもフロントのガラスが狙撃されたために大きくヒビ割れていたり、穴があいたりしていた。

《助カッタ!》という短い言葉が全身にくまなくキラキラ輝くさざ波となって走り、いきわたったのは、ホテルのベッドへとびこんでからだった。乾いて、パリパリした、爽やかな、白いシーツのうえを、靴、野戦服、泥をつけたまま私はころげまわった。手と足であたりをたたいたり、にぎったりし、日なたでネコがよくやるように全身をこすりつけ、うねらせ、もだえたことをおぼえている。そうしたのだと私は思いこんでいる。

去年は『サムシング・スペシャル』といううってつけの銘のウィスキーを飲もうと思ったが入手できなかったので、やむなく『パスポート』というのを飲んだ。私と秋元啓一はよくコンビででかけていたからこのウィスキーの銘は気に入った。

いつかの年には『ジャック・ダニエル』の黒を飲んだのだが、これには深くて柔らかい記憶がしみこんでいる。ベン・キャットの前哨陣地で作戦があるのを待って明けても暮れてもただ寝たり、起きたり、食べたり、おしゃべりをしたりというだけの日をすごしていた頃、ヤング少佐が一本くれたのである。これはすすって飲む唯一のバーボンです、嚙んで飲むバーボンですと教えられた。

このテネシー・サワー・マッシュを知ったのはそのときがはじめてだったのだが、噂さは聞いても頭からバーボンぎらいだった私は飲んだこともなかったし、飲もうと思ったこともなかったのに、これ以後は親しい仲となった。ホテルや酒場で見おぼえのあるこの瓶を見かけると、どうしてもたちどまってしまう。椅子に腰をおろさずにはいられなくなる。

そしてゴム林とジャングルの展開や、そのうえにひろがる壮烈、華麗な熱帯の夕焼や、どこかでクルミの実をうちあわせるような音をたてて鳴っている野戦電話や、夜の小屋の壁で鳴くヤモリや、ひきかえせ、まにあうぞと寝言で絶叫していた特殊部隊の将校の声や、それらのほうへ重錘が沈むようにゆっくりと降りていきたくなる。このウィスキーをみたした一杯のショット・グラスのなかにはおびただしいものがこめられている。」

この時代ジャックダニエルがベーシックでは無いのも面白いけど

これを読んでると沖縄の人と飲んだ泡盛のコーヒー割りとか、港区で知らない韓国人のアイドルと飲んだコーン茶ハイとかさ

過ごした時代のパーソナルなエモさになりうるものなんだと、思うよね

「モンパルナス大通りの「クーポール」の一隅でサルトルから四〇分間話を聞いたことがあるが、彼は大碗のブラック・コーヒーをすすり、一秒の休みもなくツバをとばしてだみ声でしゃべりつづけ、ひっきりなしに「ボヤール」をふかしていた。

短くて太い、チョークぐらいもあるタバコで、それを彼は短い指でつまみだし、老いたる頑強なカメとでもいった首をつきだしてつぎつぎとくちびるにはさんでは消耗していった。子供くさい体形をした、おどろくほど愛想のいい、くたびれてはいるがいきいきとした中老の男だった。

 上海の或る部屋で会った毛沢東はゴツゴツした湖南語を話し、茫洋としたゾウに似ていて、やっぱりチェイン・スモーカーだった。

のべつに「パンダ」の罐に手をのばし、煙のなかで小さな眼を細くし、ぶわぶわした肉に埋もれて幸福そうでもあり、老いたことを弔んでいるようにも見えた。よこにやせて、小さな、眉の濃い周恩来がいて、ゆったりと腕を組み、タバコは一本も吸わず、毛沢東の消えかかった記憶をときどき低声で訂正したり、確認したりしてやっていた」

サルトルと毛沢東と周恩来と、会ったたぜアピはなんか可愛いいんだけど(今だとチェインスモーカーが人だと思ってそう)

やっぱり小道具として、そこにある焦燥の表微が伝わる

役者がリアルとして映える

個人的に一番好きなジブリは紅の豚なんだけど(急にどうした)

スマホで負けて、AIで負けて、車でも負けそうだ

でも、損得とか卑屈とかで

矜持も張れないような大人はかっこわるいと言えるようでいたいよね

だから死ぬ気で生きてきた人のお話は面白いというお話

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