薬師の朝は早い
効能に根ざした薬草は、朝摘みだけのマテリアルも少なくない
イザイア・ワイラルは自身の吐いた息と共に深い森の中を歩く
この時間帯森はとても雄弁だ
活動に移す前の獣達よりも、植物等の声が辺りを支配している
千年前と千年後
文明が有ろうが無かろうが、ここが不変であることを是としている
回復職が一人、危険な森を探索することを不思議に思うかもしれない
ただ普段前衛に立たないだけで敵の銃弾を潜り抜けていくのだ、常識的にも実務的にもデスクワークだけの回復職などあり得ない
ここからひとつ山を超えると紅玉の戦があったところだ
彼女も衛生班として動員された経歴を持つ
本当に酷い戦いだった
戦争末期ドワーフが導入した大砲は劣勢だった軍を勢いづかせたが、それ以上に敵味方関係なく山肌を削り累々と屍を築いた
ただただ戦争が憎かった
負傷兵の手当と、おざなりの回復
休息無く死刑台へと見送る事しか出来ない己の無力さを恨んだ
戦争孤児を引き取り、母さまが作った孤児院を自分が引き継ぐことは贖罪だったのか、それとももっと仄暗いなにか、自分でも解らないで今もいる
先代の母さまは清貧を地でいくような人だった
優しくとても厳しい人だったと思う
贅沢らしい贅沢は出来なかったし
院を引き継いだ時、財政はすでに破綻していた
だからガラッドから王城への出仕の話を聞いた時、登城を決めたのはすべからく打算からだ
どんなに高尚な理想を持っていても、貧しければ救いたい手も差し伸べることさえ出来ない
現状を受け入れるだけでは駄目なのだ、子達に与えるパンも教育も無ければ自立への選択は狭まる
どうやら深い思考の波に呑まれていたようだ
予定より多くマテリアルが入った籠を見ながら溜息を漏らす
早く朝食の支度に取り掛からないと
昼を過ぎた頃ズィーカから手紙が届いた
ズィーカは紅玉の時にパルヤン達と一緒に連れて来た戦争孤児だ
今は自立して鉱山で現場を任されていると誇らしげに、そして照れたように前に語ってくれた
手紙の内容は結婚したい彼女がいるので会って欲しいと書いてあった
えっ!もう?と驚いたが嬉しさが込み上げる
どうやら彼女のことで言いにくいことがありそうだが、手紙からはなかなか読み取りにくい
ただあの子なら問題ないだろうとも思う
境遇から人を寄せ付けない目をした子だった
だってそれは仕方がない、周り全てを警戒しないと生きられなかったのだから
出来ることは時間をかけて向き合うこと
言葉にすると馬鹿みたいに当たり前のことだと思う
人が持つ根源的な欲求は承認だ
物でもなければ道具でもない、一人の人間として接する事だ
周りを威嚇していたのも、自分より小さい子達を守っていた事を私は知っていた
だから炊事場で自分から手伝うと言って来た時、喜びを隠すのに必死だった
今の職場ではきちんと彼を評価してくれているのだろう、彼の顔を見て話を聞いてそう感じた
でもそうね、そろそろ私も結婚しないといけない妙齢とは言えない年だ
ドワーフの価値観からすれば、周りからは行き遅れと思われているぐらいの節はある
でもまだ国母と呼ばれるような年嵩ではないはずだ、、
そして院と宮仕えの合間に出会いはなさそうだ、、、
モーガからも手紙が来た
私の誕生日には戻るから今年は家にいるようにとの事だった
モーガは母さまが連れて来た子だ
私とは姉妹になるが、私が孤児院を引き受けると決めた時から母として接してくれた
院長としてしっかり振る舞えるように彼女なりに配慮してくれたのだろう
いつも私の研究にも愚痴ひとつ漏らさず、付き合ってくれていた
だからヒーラーとしてのアプローチは似ていて
ただ、実際にオークの地で働くようになってからは彼女自身の色が出てきてた
わざわざ忙しいのに帰って来なくてもいいんだよといつも伝えてる
お金だって掛かるんだし
彼女は実家に帰るのにそもそも口実は必要ないと少し怒っていた、嬉しかった
やっと今日の分の仕事が片付いた
今は医局だけでなく、外交も担当している
他国の老練な大臣達との上部だけの会話は肩が凝る
私が求めるのは自国の利益ではない
戦争の回避だ
勿論、表立ってこちらの意図を掴ませることはない
紅玉は陛下を愚昧と罵った事が端を発したとされているぐらいだ
ただの口実だろう
時の大臣は戦争がしたくてしかたなかったのだ
そして私がいる限り二度とそんなことはさせないと誓っている
私が喋るのがトロいのは生まれつきだ
海千山千、百戦錬磨の相手からすると如何にも与し易いだろう
だから私は手紙を送る
特に内容は無い程よい
医局も担当をしているのは相手も解っているので、健康維持には規則正しい生活とバランスの取れた食事が一番だとか、当たり障りのない文を織り交ぜながら王城での出来事を少しだけ触れる
王子が誕生日をもうすぐ迎えるとか
王妃が欲しがっていたものが手に入りにくいといか
それらは心象高めたい人達にとってはとてつもなく有益だ
また殿方にとっては自尊心が一番大事らしい
特に過去を大事にしていて、何を成し遂げてきたかをしきりに感心していると伝えると、とんでも無く無邪気な顔になり、院の子供達と何ら変わらないと笑ってしまいそうになる
私は無害と思わせておかなければならない
相手が本気で交渉しようとする時にはガラッドか、キールに同席してもらう
扉をノックする音が聞こえた
また手紙が届いたらしい
お礼を言い、暗くなってきているから早く帰るようにと伝えた
今日は一日中、手紙ばかりくることに苦笑した
そして封に書かれた名前を見た時から私は文字通り凍りついた
母さまからだった
母さまが手紙を書いたのは、自分の死期を感じたからだと書いてあった
それは懺悔だった
自分の理想ばかり先に立ち、孤児院を窮地にさせてしまったこと
その全て貴方に押し付けるようになってしまった事
貴方はとても強い、そしてもっと強くなれる
だから貴方にしか自分を許してもらう事しか出来ない事を赦して欲しいと
この手紙は自分がこの世から去って、私が落ち着く頃に届ける様にしてあるとの事だった
院長のことだけではなく、三賢臣として出仕も陛下に願い出てた事も伝えていた
ガラッドと私の出自にも触れてあった
愛していると結んであった
読み終えた後、無性に悔しかった
わからない、自分の感情が
発露を探して怒っているようでもあり、淋しさから逃げるように震えてそうな自分もいる
わからない、なぜこんなに涙が止まらないんだろう
母さまが作る食事はいつも同じスープだった
兄弟達はみな不評を口にしてたが、私はどうだっただろう?
ただ母さまの背中だけが思い出される
母さまはずっと強い人だった
どんなに貧しくてもそれを感じさせない背筋が伸びた人だった
間違った時は言い訳をせずに謝るように子供達に躾けていた
厳しい時もあったけど種族を問わず皆の母であろうとしてくれた
私はずっと追いかけていたのだ母の背中を
そして認めてもらいたかったのだ、ただ一人の人間として
気づいてたけど本当の意味で知ったのは、母さまがいなくったと本当に自覚した今だった
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